SSブログ

サウンドオブミュージックの景色たち [映画]

昨年のオーストリア旅行記も相変わらず長々と続き、やっと終えることができました。

この旅行のテーマだった映画「サウンドオブミュージック」の景色を、既出の写真ではありますが、次回映画を観る時の防備録も兼ねてお話の流れに沿ってまとめてみました。

 

11639527.jpg

11639528.jpg

10991409.jpg

10092274.jpg

11060463.jpg

11060562.jpg

10645528.jpg

10991401.jpg

10645479.jpg

11060650.jpg

11639514.jpg

10645481.jpg

10645482.jpg

 10991503.jpg

10991505.jpg

10991502.jpg

 

10991413.jpg

10991398.jpg

10991395.jpg

10991407.jpg

 

10991419.jpg

10991499.jpg

 

11259532.jpg

11060561.jpg

10645533.jpg

 

9623898.jpg


めがね [映画]

映画「めがね」を観に行ってきました。

荻上直子監督の前作「かもめ食堂」を観て、すっかり荻上ワールドにはまりました。
かもめ食堂といえば、日本人のソウルフード、おにぎりですが、この映画を観て以来、おにぎりを握って会社に行くことが多くなりました。

 

さて、「めがね」ですが、驚くほど映画の中で何事も起こりません。

登場人物の素性もよく分からないまま映画の最後を迎えます。

あくびが出ます。

眠たくなります。

でもいつしか映画の世界に引き込まれて、その引き込まれた自分がとても自然な自分でいられます。
ハラハラ、ドキドキなアクション映画や、泣かせる映画では、映画に引き込まれても、それは非日常としてであって、どうしても普段の自分とは感情に不連続さがあります。もちろん、それも好きなんですが、また違った心地よさを感じることができました。

「めがね」を観始めて退屈だなあ、と思っている間は、映画の中に流れている波長と、常に何か結果を求めがちな自分の波長とが全く合わないのですが、何も残らないけれど何かある気がする「めがね」の世界の波長に吸い込まれる頃には、心地よく「たそがれ」ていました。

映画の最後では少し笑っちゃうけど、笑ってるはずが泣けてくる、そんな変な感じも味わいました。

そして、何よりもこの映画でよかったのは、ビールを美味しく飲んでいるシーンが多かったこと、だったりするのは、私、どうかしているのかもしれません。

 


硫黄島からの手紙 [映画]

「硫黄島からの手紙」を観てきました。

映画中では感動とかストーリー性とか関係なく、淡々と硫黄島での戦いが進んでいきます。

「淡々と」と書きましたがそれは、戦地での人々の日常、そして、その人たちが生きようとする様子、軍人として信じている信念、戦闘で死んでいく様子が描かれていて、残酷なほどに人間の生きる姿が描かれています。

ドラマとかでよくある「話の流れ」が出来る前に次々と人が死んでいきます。

米軍兵士、日本軍兵士が死ぬ度に戦争ってバカだと思わされますが、そこにいる人間は、現在に生きる人間と同じでした。

戦時中は大変だった、あの時代を繰り返してはいけない、そう思っていました。

でもそうやって今と時間を切り離して考えてしまうと、その時点で過去について考えることを放棄してしまっていた気がします。

だからどうすればいいというのは分かりませんが、映画で描かれた、生きようとすること、戦わなければならないこと、殺そう思うこと、信じることのために死のうとすること、死にたくないこと、大切な家族のこと、そんな気持ちが全て自分の中にありました。

 

化学反応の決まりで、平穏な状態に影響が与えられると、その影響を打ち消すように反応は進んでいくというものがあります。

戦争然り、環境問題然りで、人類が地球に与えている影響は初めは打ち消されるでしょう。でもその影響の大きさが地球が打ち消そうとしている能力以上になれば、長い目で見て人類そのものが消されていくのかもしれません。

人の体を無慈悲に蝕む癌細胞のように、人類が地球にとっての癌でないことを祈ります。

殺人を犯すけれど、自分を犠牲にして人を守ることもある。

人を憎む気持ちを持っているけれど、愛する気持ちも持っている。

人間ってつくづくバカだけど、とても素晴らしい。

 映画を観てそう思いました。


博士の愛した数式 [映画]

「博士の愛した数式」を観ました。

80分しか記憶が持てない博士と、彼の家政婦との日常が、数字をとおして温かく描かれています。

数字って無機質なイメージがあったんですが、絵画の絵具と同じように、使い方によってはとても美しいものなんですね。

 

昔、世界史でこんなことを習いました。

「万物の根源は、水である」 byタレス

「万物の根源は、数である」 byピタゴラス

「万物は、分割できない粒(アトム)からできている」 byデモクトス

 

習った時には、ピタゴラスとかの考え方は、デモクリトスに至るまでの単なる過程に過ぎないと思っていたのですが、この映画を観て、そうじゃないかもと思いました。

デモクリトスが言い得ているのは、あくまでもモノとしての物理学的な観点であって、「万物は数」という命題も、ココロで認識すれば「直感」でアリのような気がしました。

あんまり一つの認識にとらわれるぎるのはよろしくないですね。

 

「万物は、反対勢力である」

「万物は、わが国の言うことを聞くべきである」

「万物は、金で買える(はずだった。。。)」

 

なんちゃつて。

 

 

 


オールウェイズ 三丁目の夕日 [映画]

最近、映画館で映画を観るようになりました。

前から映画は好きだったけど、ビデオ出てから観たらええかなと思ってました。

ちょっと前にオープンした映画館が、月曜日メンズデイで千円也なので、仕事が早く終わったら、気軽に途中下車してふらっと観にいきます。

昨日はALWAYS三丁目の夕日を観ました。

くっさめが映画を観ていてシアワセだなと感じるのは、本編の前の予告編で「ああ、この映画観たいな」と思うのを通り越して、その世界に引き込まれて、カンドーしているときに、本編が始まって

「ああ、そうやった、そうやった」

と思う瞬間です。

 

「寝坊した~っ」て慌てて起きて、顔を洗ってるときに

「そいえば、今日って休日やん」って

気付くときのシアワセ感と1位2位を争う順位なのです。

 

三丁目の夕日は、ほんわかとした空気がず~っと漂っていて、終わると肩の力が抜けていて、人の笑顔っていいなと思える映画でした。

「昭和33年の当時はいまよりも素晴らしい時代だった」という主題の映画なのかな、と何となく思ってたんですが、作品からにじみ出てくるゆったりとした雰囲気が、

「あなたの大事なものって何ですか?」

「最近、笑ってますか?」

と、さりげなく問いかけてくれた気がします。

ただ実際に、「あの頃っていい時代だったんだな」とも思いましたが、自分の持っている世界観、時間と違うものを感じたときには、人ってそう思うものなのかもしれません。

それがいいとか悪いとかの話ではなくて、過去に固執せずに今も笑顔で生きていられるのであれば、人間が持っているそんな感情って素晴らしいと思います。


 


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。